生麦事件(上・下)

作者:吉村昭新潮文庫

  • 文庫本裏書き

(上巻)
文久2(1862)年9月14日、横浜郊外の生麦村でその事件は起こった。
薩摩藩島津久光大名行列に騎馬のイギリス人4人が遭遇し、このうち一名を薩摩藩士が惨殺したのである。
イギリス・幕府・薩摩藩三者の思惑が複雑に絡む賠償交渉は難航を極めた。
幕末に起きた前代未聞の事件を軸に、明治維新に至る激動の六年を、追随を許さぬ圧倒的なダイナミズムで描いた歴史小説の最高峰。
(下巻)
生麦村でのイギリス人殺傷事件から十か月・・・
イギリスは艦隊を鹿児島湾に派遣し戦闘の火蓋が切られる。
勝敗は明白だと思われたが、艦長の戦死などイギリス軍は甚大な被害を受け、国内外の批判に晒された。
一方、世界の技術力を身をもって知った薩摩藩は講和を決断するが、そこにはある目論見があった。
幕府、薩長は「攘夷から開国へ」という歴史の潮目をどう読んだのか。

  • 感想

公武合体を目指し、調停工作を行っていた島津久光は、攘夷に対して積極的だった。
生麦村での事件で、賠償を求めるイギリスに対し、幕府と薩摩は責任を押し付けあう。
強硬なイギリスに対し、幕府は腰が引けており、薩摩はあくまで要求を突っぱねる。
幕府はイギリスに賠償金を支払うが、その間に長州藩海上を行く外国船を砲撃し、フランスと戦争になる。
旧式な武器しか持たない長州藩はあっという間にやられてしまう。
薩摩藩は、イギリスが攻めてくることを予測し、鹿児島湾に砲台を築き、要塞化し、訓練を行う。
開戦後、鹿児島の町は焼き払われてしまうが、人的被害は少なく、イギリスと講和をする。
そこで、薩摩が出した条件にイギリスは合意し、武器を供給するようになる。
薩摩の軍備は増強され、長州藩を手を組み、討幕へと歴史は進んでいく。
誰かが主人公というわけでなく、当時に起きた事件の経過を丁寧に描いていたので、非常によくわかった。
意外に薩摩が頑張った戦争の描写も面白かった。

生麦事件(上) (新潮文庫)

生麦事件(上) (新潮文庫)