ネットワーク社会

携帯電話の画面を眺めながら、外を歩いている奴は邪魔だ。
そうまでして、取り込まなければならない情報なんてあるのだろうか?
アルバイトの大学生や、新入社員たちは暇があれば、携帯の画面を眺めている。
コミュニケーションの新しい姿なのかもしれないが、滑稽だ。
いつでもつながることができる安心感というより、その空間から疎外されることを恐れているように見える。
少し前に「Mixiで日記を見てコメントを残さないのは失礼」というイカれた文章を読んだ。
こんなことはマナーでもなく、コミュニケーションに自分勝手なルールを持ち込んでいるだけだ。
自分は、あの「足あと」が気持ち悪かったので、すぐに参加しなくなった。
携帯に侵されているのは若年層だけでなく、中高年にも広まっている。
東京に来て、新しい上司と初めて体面したとき、携帯の番号とアドレスを聞かれたので教えた。
自分は「普段、持ち歩いていませんけど」と付け加えておいた。
その後、自分が外出している時に連絡を取ろうとしたらしい。自宅に置いた携帯には着信がいっぱいだった。
翌日、何故電話に出ないと言われ、「普段は自宅に置いているのです」と答えた。
すると、「そんなの携帯の意味無いじゃん」となじられた。
いや、これは自分のプライベートの携帯で、アンタに利用料金を払ってもらっているわけではないんやけど。
反論はしなかったが、いつでも連絡が取れるわけではないと思わせたのはよかった。
その後、その上司から電話がかかってくることはない。
いつでも連絡が取れるというのは、自分にとっては不自由で仕方が無い。
待ち合わせの時や、馬券を買ったり、振込みをするときには、確かに携帯は便利だ。
でも、携帯が無くてもそんなに不便だとは思わない。