プロ野球「戦力外通告」終わらない挑戦編

作者:美山和也・加藤慶・田口元義|洋泉社
クビを宣告された選手たちのその後を追ったルポ。
元ロッテの堀は最後の川崎戦士で、2010年に戦力外通告を受けた。
90年台にバレンタインからメジャーに誘われるほどの選手だったが、最後の1年は1軍出場なし。
トライアウトを受けるも獲得する球団はなく、ラジオや雑誌の仕事を受けている。


入来裕作は自由枠で巨人に入団。2桁勝利を挙げた年もあったが、日ハムへトレード。
その後、メジャーに挑戦するが、ステロイドの陽性反応にひっかかり、出場停止に。
異国で差別を受けながら、這い上がろうとするが結果を出せず、帰国する。
横浜でプレーし、退団後はバッティングピッチャー、用具係をしている。
現役時代の傲慢な自分の態度を恥じ、謙虚に生きようとする様が伝わってくる。


三井浩二は27歳で西武に入団し、当初は先発だったが、中継ぎを任されるようになる。
メジャーを目指し、ポスティング申請をするが、2度とも獲得球団がなかった。
レッドソックスの岡島の成功で、翌年、ロッテや楽天のピッチャーを獲得したが、彼らはいずれも成功しなかった。
三井が申請したタイミングは日本の中継ぎの評価が暴落していた。
その後、球団からは年棒を減らされ、居場所がなくなっていくのを感じた。
翌年、戦力外通告を受け、トライアウトを受けるも獲得球団なし。
現在は、野球教室に参加したり、わずかにプロ野球中継の解説をしている。


大越基仙台育英高校の投手として、夏の甲子園で準優勝を経験。
早稲田大学に進学するが、前近代的な野球部になじめず、退部して渡米。
メジャーリーグを目指しているところ、ダイエーからドラフト指名を受ける。
だが、投手としては通用せず、外野手に転向する。
数年間は戦力として活躍したが、二軍コーチを衝突し、退団。
その後、東亜大に入学し、教員免許を取得し、山口県早鞆高校の教員となった。
現在は同校の野球部の監督を務めている。


的場寛一九州共立大からドラフト1位で阪神に入団。
阪神の野手のドラフト1位は珍しく、スター選手として期待を受けた。
だが、初年度より怪我に悩まされ、不本意な手術もあり、結果を出せずに戦力外通告
現在は社会人野球のトヨタでプレーし、主力選手として全国優勝も経験した。
プロからアマチュアへの転身で成功している幸せで稀有なケースである。


三浦貴は投手としてドラフト3位で巨人に入団。
だが3年目にコーチから投手として使えないと宣告を受け、野手に転向。
少しずつ結果を出し始めたが、原監督の退団と同時に戦力外通告を受ける。
その後、西武に移籍するもまた戦力外通告を受ける。
現在は運送会社のトラックを運転し、夜間大学に通っている。
教員免許を取得し、高校野球の指導者を目指しているという。
「一生懸命やっていれば、見ている人は必ず見ているよ」
夭逝した木村拓也から贈られた言葉が心に響く。


プロ野球「戦力外通告」終わらない挑戦編 (洋泉社新書y)

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